炭鉱事故と石炭の思い出 [ニュース]
記事100号とnice1000を超えました。読んでいただき、ありがとうございますm(__)m。。
11月21日 AFP】中国北東部黒竜江省鶴崗市付近の炭坑で21日未明、爆発があり、作業員42人が死亡した。また、66人が坑内に依然閉じこめられている。国営新華社通信が伝えた。中国の国家安全生産監督管理総局によれば、爆発は現地時間午前2時30分(日本時間午前3時30分)に発生、【11月23日 AFP】中国北東部、ロシアとの国境にほど近い黒竜江省鶴崗市付近の炭坑で21日に発生した爆発による死者は、23日朝までに104人に達した。国営新華社通信が報じた。坑内には依然、4人が閉じこめられているとみられる。生存者の証言によれば、爆発前に坑内にはガスが充満していたという。救助作業は凍える寒さの中、続けられており、AFPの記者2人が当局者とともに炭坑の入り口に行くと、30人以上の救助隊員が坑内に入る準備をしていた。国家安全生産監督管理総局によれば、爆発発生時には528人が坑内にいたという。同国の炭鉱事故としては、過去2年で最悪の規模となった。引用おわり・・・・・。
自分が小さい頃、テレビで北海道の炭鉱事故を思い出しました。石炭を掘り出すために地下へ地下へ・・・。
1970年 三井芦別炭鉱(北海道)にてガス爆発事故。死者5人・重軽傷者7人。
1977年 三井芦別炭鉱(北海道)にてガス爆発事故。死者25人・重傷者8人。
1981年 北炭夕張新炭鉱(北海道)にてガス突出・爆発事故。
坑内に59名の安否不明者が取り残されたまま
注水作業を開始し、最終的な死者は93人。 ←安否も分からず水を入れるなんて、ひどいですね(T_T)。。
1984年 三井三池炭鉱有明抗(福岡県)にて坑内火災。死者83人。
1985年 三菱南大夕張炭鉱(北海道)にて爆発事故。死者62人。
自分が生まれた頃の主な炭坑事故だけでこれだけありました。当時の石炭は「黒いダイヤ」
と呼ばれ掘れば掘るだけお金になり、お金になるから雇用が生まれ
、町はにぎわい人口は増えていきました。
当時の北海道の暖房は石炭や木を燃やして暖をとっていました。
自分が小学校の頃、石炭を燃やして、近くに座っていると顔が真っ赤になるぐらい熱かったです。
石炭ストーブの上は水を沸かしていました。燃えかす灰は裏のグランドへ捨てていたような気がする。
戦前の木の校舎だから・・風はいるし、廊下はギシギシ音がする。今では懐かしい思い出・・。
当時30年前の旭川は2月ごろは気温が一番下がり-20℃以下になると
1・2時間遅れで学校へ行っていました。
-20℃は自動車はエンジンかからなくなり、濡れたタオルは固い木のように、
外に置いていたピンは壊れる。家の水道管は破裂しました(T_T)・・。家が水浸しになることありました。
息は凍る(>_<)・・。キラキラ光るダイヤモンドダストが綺麗で神秘的で冬の楽しみでした。
気温が下がると学校遅れての登校・・だから
朝の気温がどれ位下がったのか、見るのが習慣になり・・
学校行きたくなかったので気温下がるのを祈っていました。「いじめ」があったため・・
オイルショックによる時期から石炭から・・石油への転換変わり、北海道の暖房は灯油へ変わっていきました。
今は暖房設備が整っているので、地球温暖化のためか気温が下がらなくなって1時間遅れの登校は無くなったと聞いています。北海道の皆さん詳しい情報をお待ちしております。。
サイドバーに「クリック募金」を設置しました。
クリックで様々な募金が出来ますので興味ありましたらクリックしてくださいm(__)m。
自分が嫌いな「表現の自由」を規制する某協会がないので取りあえず安心??かな・・・。
11月21日 AFP】中国北東部黒竜江省鶴崗市付近の炭坑で21日未明、爆発があり、作業員42人が死亡した。また、66人が坑内に依然閉じこめられている。国営新華社通信が伝えた。中国の国家安全生産監督管理総局によれば、爆発は現地時間午前2時30分(日本時間午前3時30分)に発生、【11月23日 AFP】中国北東部、ロシアとの国境にほど近い黒竜江省鶴崗市付近の炭坑で21日に発生した爆発による死者は、23日朝までに104人に達した。国営新華社通信が報じた。坑内には依然、4人が閉じこめられているとみられる。生存者の証言によれば、爆発前に坑内にはガスが充満していたという。救助作業は凍える寒さの中、続けられており、AFPの記者2人が当局者とともに炭坑の入り口に行くと、30人以上の救助隊員が坑内に入る準備をしていた。国家安全生産監督管理総局によれば、爆発発生時には528人が坑内にいたという。同国の炭鉱事故としては、過去2年で最悪の規模となった。引用おわり・・・・・。
自分が小さい頃、テレビで北海道の炭鉱事故を思い出しました。石炭を掘り出すために地下へ地下へ・・・。
1970年 三井芦別炭鉱(北海道)にてガス爆発事故。死者5人・重軽傷者7人。
1977年 三井芦別炭鉱(北海道)にてガス爆発事故。死者25人・重傷者8人。
1981年 北炭夕張新炭鉱(北海道)にてガス突出・爆発事故。
坑内に59名の安否不明者が取り残されたまま
注水作業を開始し、最終的な死者は93人。 ←安否も分からず水を入れるなんて、ひどいですね(T_T)。。
1984年 三井三池炭鉱有明抗(福岡県)にて坑内火災。死者83人。
1985年 三菱南大夕張炭鉱(北海道)にて爆発事故。死者62人。
自分が生まれた頃の主な炭坑事故だけでこれだけありました。当時の石炭は「黒いダイヤ」
と呼ばれ掘れば掘るだけお金になり、お金になるから雇用が生まれ
、町はにぎわい人口は増えていきました。
当時の北海道の暖房は石炭や木を燃やして暖をとっていました。
自分が小学校の頃、石炭を燃やして、近くに座っていると顔が真っ赤になるぐらい熱かったです。
石炭ストーブの上は水を沸かしていました。燃えかす灰は裏のグランドへ捨てていたような気がする。
戦前の木の校舎だから・・風はいるし、廊下はギシギシ音がする。今では懐かしい思い出・・。
当時30年前の旭川は2月ごろは気温が一番下がり-20℃以下になると
1・2時間遅れで学校へ行っていました。
-20℃は自動車はエンジンかからなくなり、濡れたタオルは固い木のように、
外に置いていたピンは壊れる。家の水道管は破裂しました(T_T)・・。家が水浸しになることありました。
息は凍る(>_<)・・。キラキラ光るダイヤモンドダストが綺麗で神秘的で冬の楽しみでした。
気温が下がると学校遅れての登校・・だから
朝の気温がどれ位下がったのか、見るのが習慣になり・・
学校行きたくなかったので気温下がるのを祈っていました。「いじめ」があったため・・
オイルショックによる時期から石炭から・・石油への転換変わり、北海道の暖房は灯油へ変わっていきました。
今は暖房設備が整っているので、地球温暖化のためか気温が下がらなくなって1時間遅れの登校は無くなったと聞いています。北海道の皆さん詳しい情報をお待ちしております。。
サイドバーに「クリック募金」を設置しました。
クリックで様々な募金が出来ますので興味ありましたらクリックしてくださいm(__)m。
自分が嫌いな「表現の自由」を規制する某協会がないので取りあえず安心??かな・・・。
じゃらん北海道 2009-2010年秋・冬版 (リクルートムック)
- 作者:
- 出版社/メーカー: リクルート
- 発売日: 2009/08
- メディア: 単行本
炭鉱の爆発、北海道もありましたね。
今は石炭に代わって石油が主、時代が変わりました。
by mamii (2009-11-24 19:58)
mamii さん、いらっしゃいませm(__)m。。
炭鉱事故は、真っ黒になった大人たちが出てくる事とか、
遺族の人たちがすごく泣いているのが記憶に残っています。
あれから、数十年たち・・北海道で炭鉱事故のこと忘れていくんでしょうね。
中国の事故を見なかったら、思い出さなかったですよ。
時代は変わりましたね。黒電話は携帯へ・・。手紙はメールへ
by シンシン。 (2009-11-24 20:21)
私の親戚に北海道の炭鉱で働いている方がいました。
幸い事故にはあわなかったようですが、
事故のニュースを見るたびに、子供心に心配していました。
by stone-9 (2009-11-25 09:12)
stone-9さん、いらっしゃいm(__)m。。
小さい頃見ていた北海道の炭鉱事故は時が流れて、戦争と同じように
それあったんですか?と言われそうですね。
知らない人もこれを読んで中国の事故と同じように北海道の炭鉱事故で多くの人命が失われたこと知って欲しいです。
ほんの約30年前前だけど、過去ですけど知って欲しい・・・。
by シンシン。 (2009-11-25 15:47)